飯守泰次郎&仙台フィルの運命、田園

ベートーヴェンの交響曲は奇数番号が男性的、偶数番号が女性的という捉え方があって、確かそれぞれのチャンピオンは奇数がトスカニーニで偶数がワルターと言われていたことが大昔にあったように思う。無理矢理同様の分け方をすれば、飯守マエストロは「奇数の指揮者」と言ってもいいかもしれない。仙台フィルの演奏で聴いてきた3番(2018.6)、5番(今回)、7番(2017.11)、9番(2018.12)はいずれも「超」のつく名演。たたみかけるような強靱なリズムと終結に向けた高揚感が共通している。どちらかというと即物的な印象であるが、気迫が相まって音が音として鳴り切る充実感が途絶えない。確かに奇数番号の各曲によく合っている。

コンサートは、6番「田園」、5番「運命」の順で演奏された。
「田園」はだいたい予想していたとおりの演奏。同じ老大家といっても飯守マエストロの演奏は、例えばヨッフムのようなゆっくりと音を慈しむようなものではなく、ワルターのように歌い込んでいくものでもない。古典的なフォームを維持したまま見通しよく進んで行く。「田園」という音楽が持ちうるある種のふくよかさに浸りたいのであれば物足りないかもしれない。しかし終始淡々としているわけではなく、過不足なく起伏もあるし、終楽章にはそれなりの高まりもあり、曲を聴き通した満足感は十分に得られる。端正な演奏で古典を聴く満足感とでも言ったらよいだろうか。

後半の「運命」は、飯守マエストロのストレートな表現が曲にピッタリでたいへんな緊迫感をもたらす。テンポを揺らさず、音楽が前へ前へと進む。そこに例の「飯守フォルテ」が随所に顔を出し、エキサイティングな演奏になっていく。第1楽章冒頭のジャジャジャジャーンから乗せられっ放し。とりわけ第3楽章(幸運なことにリピートあり!)のトリオは対向配置&コントラバス後方一列の効果もあってもの凄い音響の渦。特にヴィオラに役が渡ったときの鳴りっぷりの良さといったら! そして終楽章では快適なテンポと抉りの利いた音にすっかり乗ってしまい、こちらの足も上半身も思わず動いてしまう。「こりゃいかん!」と何とか納めたが、それくらいノリノリの演奏。この曲にのめり込んでいた中学生の頃の気持ちがハッキリと蘇るのを覚えた。エンディングの繰り返し刻まれる和音を1個1個見送りながら「どうか終わらないでくれ!」というあの愛おしい気持ちすら湧いたではないか!

ところで、「田園」第2楽章の鳥の声、「運命」第1楽章再現部のオーボエソロに聴き慣れない装飾があった。ほかにも聴き慣れた音と違う箇所があったような気がしたし、前述のように第3楽章のリピートもあった。プログラムには版のことが触れられていないが、これがベーレンライター版なのだろうか・・。よく分からない。

今回のコンサートは神谷、西本の両コンマスが登場。曲毎に分けるのかと思ったら両曲とも西本氏が担った。ふたり並んで弾いていたわけだが、ヴィブラートのかけ方、弓の勢い、フレーズ終わりの音の残し方など、細かいところがずいぶん違っていた。指揮者ばかりでなくコンマスによっても演奏は大きく左右されるはずだから、こういう違いがあることを目の当たりにして興味深かった。(同じプログラムを神谷さんのリードでも聴いてみたい!)

配布されたプログラムに藤田茂という音楽学者によるプログラムノートが載っていた。「運命」「田園」の曲解説を今更読まずともの思いもあったが、一応読んでみた。「急・緩・舞・急の楽章の集まりが、ベートーヴェンによってひとつの有機体となり交響曲のあり方そのものが変質した」ということを主旨のひとつとしていたが、その根拠とするところの事実の拾い方が非常にユニークで説得力もあり「自分も新しい視点でこれらの曲ともう一度向き合ってみよう」という気になる。プログラムノートをないがしろにしてはいけない。


※仙台フィル第328回定期演奏会

 2019年5月18日(土)午後3時開演

 日立システムズホール仙台・コンサートホール

 指揮:飯守 泰次郎

 ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」
 ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」


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