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今日は悪天候だったので、どれくらいの出席かな?と案じていたが、いつもどおりの数は集まった。出席率はアマチュア合唱団の命綱のひとつだ。どんな人でもちょっと休み続けると面倒くさい気持ちが出てきて弛んでしまう。当事者意識が確実にダウンするし、その気分は他の人にも確実に伝わって悪影響を及ぼす。仕事ではないから「這ってでも出てこい」とは言わないが、かなりそれに近い気持ちを維持するようでないと結局はダメになると思う。この辺のことは団員ひとりひとりに常に認識して欲しいと思っている。 タイトルの「悩み」というのは、別のことである。 今日、YELLに着手したが、この曲が正に「悩み」なのである。 「手紙」にとりかかったときも捉えどころがなく、悩みに悩んだ。世の中では流行っているし、団員も歌いたいというし、「きっといい曲に違いない」とだけ信じ込んでとにかく曲に向き合った。そうして、どちらかと言えば嫌いな曲だった「手紙」も、次第にその魅力が分かるようになり、そればかりか、新しい視点でこの曲を見直すことにより、自画像よりずっとその人間の本質を抉り出せる肖像画を描けるようなところまで行けたと思う。感じ方、考え方がまるで違う人間を理解し受容することの難しさを知り、だが、そこにあえて飛び込むことにより見えるものが出てきた、というのが「手紙」での偽らざる体験であった。 が、しかし! YELLはどうなんだろう。「手紙」のように、私は折り合いをつけるときを迎えることができるのだろうか? これが、今日時点で全く自信がない。歌詞も曲調も、やっぱりまずは違和感から入っているというのが本音だ。曲が悪いというのではなく、本質がパッと見えないのである。例えばこれが「瑠璃色の地球」だったり「なぎさの地球」だったりのときは、初めて聴いた瞬間からビンビンだったが、「手紙」同様、YELLも「萎え」からのスタートなのだ。 YELLの何が「萎え」かというと、シンプルな短調を通すため、悪い意味でどこか演歌調を感じてしまうこと、全体が比較的一本調子に感じられることの2点が挙げられる。 これを救えるのは、詩への理解だと思う。メロディーラインからもたらされる気分に任せた演奏をしたとたん、この曲は、前記の弱点を軽々と露呈すると思う。それを補いうるのが歌詞への理解だと思う。 この詩も、「手紙」同様、第1印象は実に軟弱だ。冒頭は「お前何おセンチを気取ってんだよ!」とやっぱり思う。そして、「サヨナラは悲しい言葉じゃない」と来る。「はいはいそうでしょう、そうでしょう」と聞き飽きた文句に食傷気味になる。だが、「僕らはなぜ 答えを焦って 宛てのない暗がりに 自己を探すのだろう」というところに来ると、「お、なるほどね、そうか・・」みたいな気づきを覚える。ここがカギかなあ、という気はしている。 鼻歌的にメロディを追ったときは、もう、しょうもない程つまらない音楽に聞こえること間違いなしだが、詩を熟知した頭でダイナミックス、トーン、カンタービレを巧みにコントロールできたときには、たぶんいい演奏になるんではないかと思う。 だが、その具体策を見つけるのに、「これは時間がかかるな・・」という実感を強くしたので、それが、「悩み」となったのである。「手紙」で成し遂げたレベルの解釈をこの曲に施すことができるであろうか・・。厳しい課題をもらった気がする。 |
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